ズワイガニは、殻を割る音から始まります
家で飲む夜に、派手な演出はいりません。湯気が立って、指先が少しだけ忙しくなる。それだけで、晩酌の空気は変わります。ズワイガニは、口に入る前からおいしいのです。殻を割る音、立ち上がる香り、身がほどける手触り。その一連が、家飲みをちゃんと特別にしてくれます。
もちろん、カニは贅沢です。ですが、この贅沢には不思議な軽さがあります。皿の上に並ぶのは、うまさだけではありません。自分の時間を取り戻す感じが、ちゃんと乗ってきます。
ここでは「殻のごほうび」と呼びます
ズワイガニの良さは、味だけでは説明しきれません。ここではいったん「殻のごほうび」と呼びます。つまり、食べ物の満足に、手を動かす楽しさが加わるごほうびです。食べることが目的なのに、途中の所作まで気持ちいい。だから、無性に食べたくなります。
忙しい日は、揚げ物や総菜で十分です。けれど、心が疲れている日は、満腹よりも回復がほしい。殻を割っている数分が、その回復に効いてくることがあります。
同じズワイガニでも、名前が増える理由があります
通販を見ると、越前がにや松葉がになど、いろいろな呼び名が出てきます。けれど根っこは同じで、どれもズワイガニです。水揚げされる港や地域で、名前とタグをつけて品質を守っているから、呼び名が増えます。
もう1つだけ覚えておくと迷いが減ります。雄と雌で呼び方が変わる地域があります。雌は小ぶりで季節も短いことが多く、卵の楽しみ方に向きます。雄は身の量と食べごたえで勝負するタイプです。今日はどちらがほしい夜かで、選び方が変わります。
通販で失敗しにくいのは「形」より「目的」を決めることです
姿のままのズワイガニは、場が強くなります。箱を開けた瞬間に、もう勝ちです。一方で脚だけのセットは、食べることに集中できます。手間も減ります。むき身や半むき身は、初めての人にやさしい選択です。殻の楽しみは少し減りますが、身の甘さはちゃんと届きます。
ここでのポイントは、何をしたい夜かです。盛り上げたいなら姿。静かに食べ切りたいなら脚。鍋や焼きに寄せたいなら生の冷凍。到着した日にすぐ食べるならボイルの冷凍。目的が決まると、商品説明が読みやすくなります。
おいしさの差は、解凍の温度で決まります
冷凍のズワイガニは、急がないほどおいしくなりやすいです。冷蔵庫でゆっくり戻すと、身の水分が暴れにくいからです。キッチンペーパーで包んで袋に入れ、皿かバットに置いて冷蔵庫へ入れます。水が出ても、カニがその水に浸からないようにしておくと安心です。時間の目安は12時間から24時間です。量が多いほど、もう少し見ておくと落ち着きます。
どうしても急ぐなら、袋に入れたまま冷たい水に当てます。水を直接身に当てないのがコツです。うまみが水に逃げやすいからです。急ぎの日だけの手として覚えておくと、気が楽になります。
つけだれは、後からで十分です
最初のひと口は、そのままでいきます。塩も、ポン酢も、まだ要りません。ズワイガニは甘さが強いというより、香りと余韻で勝つ食べ物です。舌の上でほどける繊維感と、鼻に抜ける海の香りが主役です。
次のひと口で、柑橘を少しだけ足します。レモンでも、すだちでも、好みで大丈夫です。酸味は味を濃くするためではなく、余韻を立たせるために使うと上品に決まります。濃いタレを最初からかけると、ズワイガニの繊細さが見えにくくなります。
酒は、勝ちに行かないほうが合います
ズワイガニの夜は、酒を強くしすぎないほうが気持ちいいです。日本酒なら、香りが華やかすぎないタイプが合います。冷やしても良いですし、ぬるめに温めても甘さが引き立ちます。ビールなら、軽く苦いものが口を洗ってくれます。ハイボールは、炭酸の切れで殻仕事の合間を気持ちよくつないでくれます。
ワインなら白が無難です。重い樽の香りより、海のミネラル感があるものが寄り添います。ここでも大事なのは、酒で上書きしないことです。
見方を変えると、ズワイガニは外食より合理的です
ズワイガニは高いです。とはいえ、外で食べると、値段の多くは場所と人の手に乗ります。家なら、その分を素材に回せます。しかも自分のペースで食べられます。殻を割る時間が長くても、気まずくなりません。これが大きいです。
さらに、ズワイガニは分けて楽しめます。今日は脚をそのまま。次の日は殻から出たうまみを使ってスープにする。締めは雑炊でも、うどんでもいいです。1回の買い物が、数日の余白を連れてきます。
もし価格が気になるなら、紅ズワイガニも選択肢に入ります。深い海に住む種類で、身がやわらかく水分が多い傾向があります。甘さが分かりやすいので、鍋やほぐし身の料理に向く日もあります。ズワイガニとは別物ですが、家飲みの満足という点では、十分に成立します。
食べ終わったあとに残るのは、殻ではなく余韻です
ズワイガニを無性に食べたくなるのは、たぶん味の記憶だけではありません。あの殻を割っている時間が、頭の中の騒がしさを少しだけ静かにする。その感覚を、身体が覚えているのだと思います。
晩酌は、豪華にするほど良いわけではありません。けれど、たまにズワイガニを呼び込むと、家で飲む意味がくっきりします。今夜の自分に、ちゃんと手をかけられた気がする。そういう夜が、たまにあるだけで十分です。




